経営労務ディレクター

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2015年9~10月号
全国職能資格協会 事業本部長 岡鼻 哲子

人物を見抜く

ショックを与えて反応を見る

 表情から見抜こうとしても、自己コントロールができる人はなかなか表情を崩さなかったり、いわゆるポーカーフェースというやつで、自分の手の内を相手に読まれないために無表情を装うということになると、なかなか見抜けないことになる。
 こういう場合には、ちょっとしたショックを与えてみるということも必要になってくる。驚かすとか怒らせるということをやってみる。思いがけないショックによって相手の心のバランスが崩れ、その瞬間、本音が出るということがよくある。
 受験生に軽いショックを与えることによって、今までしとやかだった女性が、急に怒りの感情を現したり、悲しみの感情を現したりすれば、怒り型、あるいは悲しみ型であることが暴露される。
 表情がこのようにはっきり現れれば判定し易いが、これほどはっきりしない場合も少なくない。そういう場合は、ちょっとした表情の乱れがはたして何を意味するのか、ほかの兆候と照らし合わせて見ながら解釈する訓練が必要になってくる。

投影法によってモチベーションを吐き出させる

 人を見抜くためのもっともオーソドックスなやり方は、相手によく喋らせることである。相手の本音や考え方、欲求などは、相手の無意識の中にかくれていてなかなかわからないから、相手に喋らせることによって、意識をひき出していくことが必要になる。  もっとも、相手に喋らせようと思っても、

  1. 相手がこちらを警戒していてなかなか本当のことをいわない
  2. 自分をよく見せようとして体裁のいいことをいう
  3. 本音をいわずたてまえをいう
  4. 嘘をいう
  5. 自分の考えを正しく表明することができない
など、いろいろの理由で相手の本当に考えていること、欲求などが正しくつかめないことが少なくない。そこで相手の考え、人柄を正しくつかもうとするには、こういう障害の影響を受けないつかみ方が必要になってくる。
 これはアメリカの例であるが、アイボリー石鹸が従来、非常によく売れていたのだが、だんだん売れ行きが低下してきた。いったい何が原因だろうかと、心理学者に調べてもらった。
 その結果、わかってきたことは、化粧石鹸で体を洗っても身も心もさっぱりしたいとか、自分を美しく魅力的にしたいという期待が強いということだった。
 今まで、「アイボリー石鹸は安くてお得です」このキャッチフレーズでは、お客にまるでそぐわないことがわかった。
 早速「アイボリー石鹸はあなたを魅力的にします」というふうに切り替えた結果、売り上げが次第に向上するようになったという。
 そこで必要になってくるのが、お客のモチベーションが自然に吐き出されるような対象、あるいは環境をうまく活用することである。アイボリー石鹸の場合は、石鹸を使う環境(風呂場)においてどのように石鹸を使っているかをしゃべらせる方法であるから、環境においての本人の気持ちをどのように述べさせるかということになるが、これも一種の投影法であるといえる。

2015年7~8月号
全国職能資格協会 事業本部長 岡鼻 哲子

人物を見抜く

眼による鑑別法

 人を見抜く場合に眼に注意する人が非常に多いが、そのなかでも永年眼を見ることによる人間鑑別法を鍛えてこられたAさんの話がなかなか面白い。
 Aさんが、小学校3年の頃、学校で上靴を盗まれた生徒がいた。先生が先頭に立って犯人捜しをやったが、なかなか見つからなかった。このときAさんは、犯人は5年生のMであるという確信をもった。
 Mはからだは大きいくせに、ガキ大将でなく、1人でいることが多かったし、何よりも顔は動かさずに眼だけをキョロキョロさせていたからだ。
 思った通りだった。
 次の日、運動場で遊んでいると背を丸めたMが母と連れ立って帰っていく姿を見た。それっきり、Mは学校にこなくなった。
 Aさんが16歳のとき、銀座の喫茶レストランでサッカリンの横流しをし、売り上げをごまかしている支配人がいた。オーナーをはじめ3人のコック、ボーイ5人の誰も、支配人がそんなことをするとは思っていなかった。人あたりが良いし、仕事のことも親切に教えてくれた。そして誰よりも早く店に出て遅く帰った
 勤めて半年たったころ、Aさんが一番早く出て行ったとき、レジで書きものをしていた支配人が顔を上げてAを見た。その眼がいつもの眼でなかった。稲妻がキラリと走ったようだった。間もなく、オーナーが帳尻のおかしさに気付いたが、支配人を全く使用していた。
 コックや、レジ嬢が疑われてやめた。
「お前は知らないか、知っていたらいってみろ」とオーナーから3度目に調べられたとき、思い切って確信があるわけではないが支配人だと思うとAさんが答えてどなられた。
 間もなく、支配人は店に出て来なくなった。Aさんの勘が当たったわけである。
 Aさんが店をはじめて2店目の新橋時代に、店長に連れられてボーイが挨拶に来た。コワイ顔してるなと思ったという。顔の造作がコワイのでなく、眼がコワイ、そしてひょっと眼をそらす。また、からだ全体にスキがない。が、そんな第一印象だけで、人間の善し悪しを決めてはいかんと思い、また人手不足だったので、Aさんは店長に、「あの男、大丈夫だろうかな」と念を押しておいた。
 よく働いた。かげひなたもない。自分の第六感もあてにならんかな、と思ったが、何かいっしょに寝泊まりしているのが不安だった。そこで神田に勤め替えした。
 4日後だったが、神田の店長から電話で、彼が警察に連れていかれたという知らせがあった。富山で殺人をして逃げていたのだということだった。
 Aさんの眼による鑑別法は、なかなかよく当たる。だから人を見抜くにはなんといっても、眼が決め手のような気がするとAさんはいうのである。もっとも、眼で人を見抜くといっても、Aさんのようによほど慣れていないと正しく見抜けないといえよう。たとえば相手がキョロキョロしている場合、それは何かやましいことがあるためか、落ち着きがないためか、周囲が珍しいためなのか、いろいろな理由があることがあって、はたしてどれが理由なのか見極める必要があるが、そのためにはほかの情報との関連から見抜く必要が起こってくる。そこで、眼だけではなく、表情、姿勢、しぐさなどを観察する必要がある。

2015年3~4月号
全国職能資格協会 事業本部長 岡鼻 哲子

人物を見抜く

好悪の感情が目をくらませる

古い話だが、テレビを見ていたら、出席者の人たちがいろいろなスターたちの批評をしていて、その中の一人が、
 「松坂慶子はトイレにいくのかしら」
と真面目に質問をしていた。
 “惚れてしまえばアバタもエクボ”という諺があるように何もかもよく見えてきて、冷静な判断ができなくなってしまうのである。
 また、“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”という諺があるように、いったん悪感情をもってしまうと、何から何まで憎く見えてくるようになる。こうして好悪の感情というものは、人を正しく見抜くことが出来なくなってしまうものである。
 韓非子は、愛憎というものが人の評価に大きく影響することを次のような例で述べている。
 衛の霊公が一人の美少年をたいへん寵愛していた。ある夜、少年の実家から、母が急病だという知らせがあった。少年は主君の許しを得たと偽って王の牛車に乗り、見舞いに行った。
 かってに王の牛車に乗ったものは足切の刑に処せられることになっていたのだが、後でこの件を知った霊公は、
 「足切の刑も恐れず母の病床にかけつけるとは感心なやつだ」
と少年の孝心を誉めた。
 また、ある日、少年は霊公のお供をして庭園を散歩していたが、桃の実がうまそうになっているので一口かじってみた。たいへんうまかったので、少年はかじりかけの桃を霊公にさしだした。
 霊公は、
 「うまいものを独りじめにせず、わしにくれたとは感心なやつだ」
とたいへん誉めた。
 やがて数年たち、成長した少年は美少年ぶりが衰えて、王の寵愛もうすれた。霊公は昔のことを思い出し、
 「おまえは、許しを得たと偽ってわたしの牛車の乗りおった。また、わたしにかじりかけの桃を食わせおった。その無礼は許せない」
と美貌の衰えた少年を罰したという。
 同じ人間であっても、愛しているときには法を犯したり、非礼なことをやっても、かえってこれを称賛するという気持ちになるのだが、いったん愛が失われると、愛が憎しみに変わって罰せられることになるのであって好悪の感情というものが、いかに人を見る目に大きな影響を与えてしまうものであるかということがよくわかるのである。
 第一印象で人物を見抜こうとする場合、相手の顔を見て判断する人がたいへん多い。だが、顔だけでは見誤る場合がたいへん多い。それは人相と顔を区別して観察しないからである。とくに人相を見ることが大切であると評論家のA氏は次のようにいっておられる。
 「“人間40になったら自分の顔に責任をもて”とアメリカの大統領リンカーンはいった。彼は人の採用にあたって、気に入らない顔つきの男の採用を拒否した。側近の連中が、顔つきで拒否なさるとはと笑ったが、リンカーンは断固としてまげなかった。リンカーンが、あの顔が気に入らないといったときには、その顔にひそむ人相を見抜いたのである。」と
 人は自分の顔に、その精神生活の歴史の痕跡を刻む。中身の機能は外の形態に密接に関係がある。形態と中身は切り離せない。よく飛べる飛行機は形がいいのと同じく、いい人はいい人相を自分の顔面に彫刻する。良き市民としての生活を営み、綺麗な心、しっかりした精神の保ちかたをした人は、長い間に、その顔に、どこかいい痕跡を残す。リンカーンが人相で人の才能を決めたのは納得いく話である。

2014年11~12月号
全国職能資格協会 事業本部長 岡鼻 哲子

人物を見抜く

第一印象は必ずしもあてにならない

 多くの人は、初対面で人を見抜くということをやっているが、当たる場合もあるが、当たらぬ場合もあるから注意が肝要である。 経済評論家の山本さんも、初対面で見抜きそこなった苦い経験を持っておられるが、その経験を次のように語っておられる。
 「私は若い頃、ある大きな仕事の開設事業をまかされたことがあった。まず第一に人を集めなくてはならない。それも幹部クラスである。まったく新しい事業だったので、営業部門はその道のプロを採用しなければならなかった。
 Aという人とBという人がいた。どちらもその道の経験は十分で、それぞれ推薦する人がいた。私はAとBに面接した結果、Aを部長に採用し、Bを次長とした。年齢も同じくらい、経験も過去の業績も同じようであったが、Aのほうが風采もよく、堂々としているし、言うこともしっかりしていた。これに反し、Bのほうは、そういった点に見劣りがしたからである。
 ところが、1年たたないうちに、この人事は失敗したことがわかった。Aは公私混同するし、感情に支配される人だった。だが、Bは沈着で才覚もある人だったのである。
 その後、2年ほどこの人事の失敗に私自身苦しまなければならなかった。そして初対面の印象で人というものは決して鑑定してはいけない、ということを痛切に心に刻み込まれてしまったのである」
 山本さんは、初対面で人を見抜くことの難しさを以上のごとく語っておられるのだが、孔子のような優れた人でも、やはり人を見抜きそこなっていることを、次のように述べておられる。
 「孔子は自己の先入観に支配されて子羽という弟子と、子我という弟子の人物鑑定をまちがっている。これは孔子自身も、わしは言葉だけで人をみて子我の場合は失敗した。また容貌だけで人をみて、子羽の場合は失敗した」
 子我は口の達者な男だった。孔子は子我の弁舌を聞いて、子我は偉い男と思っていた。子我は斉の国に任官して大夫となったが、反乱に加担して処刑された。孔子はこのことを恥じていた。つまり孔子は弁舌が立つという先入観によって、子我という弟子を信じて斉の国に推薦したのだった。
 もう一人の子羽という男は、容貌風采ともにみすぼらしかった。そのために孔子は弟子になりたいといってきたとき、この男はいくら勉強しても資質が悪いから上達しないと思った。ところが、資質大いにあり、諸侯の中にも彼の名は高まっていったのである。
 このように人はみかけによらない。第一印象や先入観をもって人物を鑑定することは、誤りの基になると孔子はいっているのである。
 初対面の印象で相手を見抜こうとする場合、まちがい易いのは相手の外見や肩書にまどわされてしまうからである。孔子のような大人物でさえ子我の場合には、弁舌さわやかな話しぶりにすっかり幻惑されてしまったわけであり、子羽の場合には、容貌風采の上がらない外見を見てこれはたいしたことはないと見誤ってしまったのである。
 山本さんもまた、AとBとを見抜こうとする場合、Aのほうが風采もよく堂々としているのでAを部長にしてしまい、Bを次長にしてしまったのだが、実際にはBの方が優れていたということを後から気づいたわけである。これも外見に惑わされてしまった例である。
 外見や肩書、手の込んだ道具、こういうごまかしに引っかからないようにするためには、これらの影響のないところでじっくり考えてみることが大切である。

2014年9~10月号
全国職能資格協会 事業本部長 岡鼻 哲子

人物を見抜く

兆候によって見抜く

 「本能寺の変」の直後、京都の町人が、明智光秀に茶と粽を献じたが、光秀が放心状態で粽を笹の皮ごと頬張ったのを見て、町人たちは「光秀の天下も長いことなかろう」と見抜いたといわれる。町人たちの眼力はなかなか鋭かったわけである。
 戦国のある武将が、若かった頃、狩りに出て、近所の農家で昼食をとった。この若君が出された魚の身を実に器用にはがして食べ、残りの骨が整然と皿の上にのっていたので、おつきの重臣が、この若君は、必ず秀でた大将になれるであろうと予言したそうだが、重臣は、魚の食べ方から若君の器量を見抜いたわけである。
 人間の器量や人物というものは、ほんのちょっとした兆候から見抜けるという例である。だが、このようなちょっとした兆候によって人物が適格に見抜けるためには、見抜く側によほどの優れた鑑識眼が必要であり、これに欠けていると人物を見誤るということになりかねない。
 三井銀行の総帥であった中上川彦次郎氏は、多くの人材を採用、育成した人だが、中上川氏でさえ、小林一三さんにはじめて会ったときには、「柔弱な男、役に立たない人物」と思いこみ、名古屋支店に追い出してしまった。また、池田成彬氏も、小林一三さんに対する第一印象として「小説ばかり書いている軟弱な文学青年と見、銀行では役に立たない人間」と思い込んでしまったのである。
 第一印象やちょっとした兆候で人を見抜くことは当たる場合もあるが当たらぬ場合もあり、人間というものを研究していくにつれて難しいやり方だということがわかってくるのである。
 私にもこういう経験がある。それは父親から、先にあげた、魚を器用に食べた戦国武将の話を聞かされたとき、大変ショックを感じ、やはり偉くなる人間は、小さいときから魚を食べるときでも、ちょっとした行動のはしはしに、頭の働きのよさが表れるのかという驚きだった。だが、自分はあまり器用でないから上手に魚を食べられない。だからいくら努力しても到底素質の良い人間にはかなわないという絶望感に見舞われた。私の父親はなんとか、そういう話でふがいない娘を大いに奮起させようと思ったらしいのだが、かえって逆の結果を引き起こしてしまったのである。
 だが、少し大きくなるにつれ、魚がうまく食べられなくても必ずしもがっかりすることはないでないかと考えられるようになった。というのは、有名なバレリーナの人で、バレーを踊らせると天才的だが、日常の生活のこととなると子供のように他愛のないところがあるということをある雑誌で読んだり、歌舞伎の名優は、旅行するときには自分で切符も買えないような世間知らずだが、いったん舞台にのぼると、観客をうならせる名演技ぶりを見せるというふうに、一芸に達した人間でも、ほかのことをやらせられるとてんでダメという人が少なくない。
評価の基準が問題である
 人物を評価しようとする場合、見抜く側の目が問題なのである。どんなモノサシで相手を測ろうとするのか、それによっていろいろ評価が分かれてくるのである。
 徳川家康は、「器用なる者は大なる知恵なきものぞ」といっているが、器用な人間はいろいろ役に立つので有用な人間であるように見えるが、とかく目先にとらわれがちであるので、大きな知恵を発揮することができないということを家康は見抜いていたのである。
ものには必ず両面性があるから、そのどちらかを見るかによって、人物の評価が大きく変わってくる。
 そして見る人のスケールが大きいと、相手の長所を見ることができ、スケールの小さい人は、相手の欠点のみを見てしまうのである。

2014年5~6月号
全国職能資格協会 事業本部長 岡鼻 哲子

人物を見抜く

動機を見抜く
投影法をうまく活用する

 相手のモチベーションを適格につかむということは、あくまでも相手の立場に立つことが大切であり、また投影法を使うことが大切であるということがよくわかるのである。というのは、相手の話を聞くことによってモチベーションを探ろうという方法をとると、相手は、やはりたてまえをいってなかなか本音をいおうとしないからである。
 ところが、投影法を使うと、相手は警戒心を忘れ、体裁のいいことをいおうとする計らいを忘れてモチベーションをさらけ出すことになるからである。バーの女性に惚れてしまったが、彼女は、はたしてこちらに気があるかどうかわからない。そういうときに、
「君は僕が好きかい」
というような聞き方をすれば、相手は商売だから、
「あなたが好きよ」
というような答えが返ってきても、これを本音と受け止めるわけにはいかない。
 そこで自分と似たような人物をあげて、彼女に批評させてみる。そうすると第三者のことだから彼女は自分の思っていることをズバズバいう。たいへん好意のあるいい方をするとすれば大いに脈があるということになる。
 もっとも、利口な女性だと、こういう質問するこちらの意図を見抜いて、こちらに希望をもたせるようないい方をするかもしれない。そうなるとうっかり喜べないということになる。
 こういうときには、さらに敵の裏をかいて、自分とは反対のタイプの人間をあげて批判させてみる。反対のタイプの人間の批判なら警戒心をもたず、いいたいことをいう。それを通じてこちらに対する行為の度合いを探るわけである。
 このように相手の無意識のなかの感情や考えを探ろうとするには、直接の質問を避けて適当な対象を使ってこれに相手の感情や考えを投影させるという方法をとる。できるだけ相手の本音が出やすいような対象をえらぶ。あるいは演出ができれば相手は警戒心を忘れて、自分の本音を暴露することになる。
行動の中に潜むモチベーションを見抜く
 英国製の素晴らしい洋服を着たり、最高級の時計を身につけたがるというような人は、自尊心、虚栄心が非常に強い人間と考えてまちがいない。ある社長は、いつも最高の服をどんどん買い入れ、これを気に入った部下にくれてやるという趣味があった。それは彼が学生時代、非常に貧乏で洋服を買うのが大変だった。こうした学生時代の困窮がいい服を着たいという欲求を異常に強めることになり、地位ができ、金ができたとき最高の洋服を買いまくるという行動をとらせるようになったのである。
 ある商社の部長が、身分不相応な広大な住宅をむりして手に入れて住んでいる。彼が広大な住宅に住みたがるのは、小さいとき狭い住宅で窮屈な思いをさせられた。そのとき大きな家に住みたいという願望を持ったのであるが、これがモチベーションになっているのである。
 Kさんは、仕事で地方に出かけると、本を買いまくるというくせがある。彼がこういうくせをもつにいたったのは子供の頃家が豊かでなく本を自由に買うことができなかった。
 このときの本に対する強い執着心が、地方に行ったとき、本を買いあつめるモチベーションになっているというわけである。
 このようにその人間独特の行動には、その人の無意識のなかのモチベーションが現れていることが多い。だからある人間の特徴のある行動を注意して観察することによってその人のモチベーションを見抜くことができるのである。